【買わねぐていいんだ。】25話 買ってもらえなくていい

第四章 私はただの物売りじゃない

買ってもらえなくていい

 このようにご一行様とのやり取りをご説明しましたが、私はお客さまに「これ(商品)を買ってください」とは絶対いいません。むしろ、常連のお客さまになるほど、「何も買わなくていいから」と言っているほどです。
 もちろん、販売員になりたての頃は「もっと買ってもらいたいな。どうやったらもっと買ってもらえるようになるんだろう」ととても悩んでいました。しかし、あるときから気持ちが変化していきました。
「売り上げではなく、自分もお客さまも楽しむ時間なんだ」
 こう考えるようになってから私の気持ちはずいぶん楽になり、それまで自分に対して感じていたプレッシャーもなくなりました。
東京駅はもちろん、それぞれの駅には大きなお土産屋さんやレストランなどのお店がたくさんあります。そんななかで、さらに車内販売をご利用いただけるということは、それだけでとてもありがたいことだと思うのです。
 普通の店舗であれば、お客さまが来店されると「いらっしゃいませ」とごあいさつするでしょう。お店に来店するということは、それだけで購入する意思が少なからずあると思うからです。
ですが車内販売の場合は、新幹線に乗っているすべてのお客さまが車内販売を目的としているわけではありません。ですから私はいつも「失礼いたします、お客さまいかがでございますか?アイスクリームでございます」とお声をお掛けします。買っていただけるかどうか、お伺いするといった姿勢でいるのです。
また、「買っていただかなくても、みんな大切なお客さま」という気持ちを常に持つことで、もっと大きな視点から物事が見えるようになりました。
 たとえば、「アイスクリームでございます」とご案内したとします。そのとき初めてお客さまは「あ、新幹線のなかでアイスクリームが売っているんだ」と気付くかもしれません。
そのときにすぐご利用いただかなくても、知っていただくだけで「じゃあ次に乗ったときに買ってみよう」と思われるかもしれないのです。
 今のご案内が次につながるかもしれない。いま買っていただけないとしても、次では買っていただけるかもしれない。そう考えれば、すべての方が大切なお客さまとなります。
 初めて会うお客さまにもそうですが、常連のお客さまにはとくに、「茂木さんから買ってあげないといけない」というプレッシャーを与えないように気をつけています。
販売員でも新人さんなどの場合、常連さんにはやはり「買ってくれるはず」という考えが先行してしまうものです。
「あ、常連さんだ。この前も買ってもらったし、今日も買ってくれるだろう」
 そういった考えから、そのお客さまの都合も考えずにずっと立ち話を続ける販売員もいます。そうすると、たとえコーヒーを飲みたいと思っていなくても、優しいお客さまなら買っていただけるかもしれません。ですが、そんなことが続いてしまうと、お客さまは次第にその販売員を重荷に感じるようになってしまいます。
 私は後輩に常連さんとの付き合い方を、常連のお客さまだからこそプレッシャーを与えないよう指導しています。私は常連のお客さまにも直接「別に無理して買わねぐていいんだ。本当に欲しかったら買ってけろなー」といいます。そう伝えることで、お客さまは新幹線に乗る時間がとても楽になるでしょうし、私と会ったときでも気軽にお話ししてくださいます。
 常連のお客さまが「今日は弁当買うわ」なんておっしゃれば、「どうしたの!?お母さんからごはん作ってもらわねべっけか、今日?」と驚いてしまうことも!
 なかには「なに売りたいのや?」なんて聞いてくださる常連さんもいます。ですが、せっかく出会ったお客さまと、無理をさせてしまったからそれで終わり、というのはとても悲しいこと。たとえ買っていただかなくても「茂木さん、元気?」とお声を掛けていただくほうがよっぽど嬉しいと思うのです。