ヒストリー

 2006年5月。ゴールデンウィークまっただ中の、良く晴れた日でした。

 その日、早朝の新幹線の車内販売担当だった私は、商品をたくさん積んだワゴンとともに、気合十分で新幹線に乗り込みました。大型連休とあって、車内は家族連れでいっぱい。乗車率は100%を超え、席に座れなかったお客さまがちらほらと通路にお立ちになっています。

「失礼いたします。通らせていただいてもよろしいでしょうか」

 お客様の間をぬって、ワゴンとともに通路を歩きます。

「アイスはありますか?」「コーヒーをください」

 ひとたびお客さまから声が掛かると、その周囲の方からも次々と注文が舞い込んみます。多めに車両に積んであったお弁当や飲み物も、飛ぶように売れていきました。

 その後、途中駅からも次々にお客様が乗車され、車内はさながら満員電車のよう。

(すごい!これじゃもうワゴンは通れないかも・・・・・・)

 通常時の車内販売では、ワゴンを押し、車内を何度も往復します。ですが、デッキや通路にもお客さまがいらっしゃる場合、ワゴンが通るスペースはなくなってしまうため、販売をご遠慮させていただくこともあるのです。

(でも、暑くなってきたし、もしかしたら冷たいお茶が欲しいお客さまがいるかもしれない。ちょっとお腹が空いていて、お菓子が来るのを待っているお子さまも・・・・・・。よし、お客さまのところへ伺おう!)

 そう判断した私は、今度は商品を袋に詰め込むと、手で持って販売することにしました。

「お弁当にお菓子、冷たいお飲み物はいかがでございますか」

 声をお掛けすると、読みどおりお茶もお菓子も、他の商品もどんどん売れてゆきます。

「お土産品も多数用意しておりますので、ぜひご利用ください」

「えっ、お土産も売ってるの?じゃあ一つください」

 帰省される様子で、お土産をお持ちでないお客さまからもご注文をいただきました。

 やがて通路もお客様でいっぱいになり、通れない私を見かねた方々によって、お金と商品、お釣りの手渡しリレーが始まりました。

 両手に持てる量には限度がありますから、手持ち販売は、ワゴンに比べると売上が落ちてしまいます。でも、一人で車両を何十回と往復しながら「もしかしたらこれはすごい金額になるかもしれない」と思いました。

 新庄ー東京間の怒涛の1往復半が終わりました。営業所に戻り、その日の売上金をカウンターにかけます。すると、金額を示すメーターがカタカタ・・・・・・と動き始めました。

 ですが、それはいつまで経っても止まりません。私は恐ろしくすらなってきました。

 「なんだ、機械の故障か?」

 ついには周囲もざわつきはじめます。

 ですが、止まったその数字を見て、その場は一気に静まり返りました。

「・・・・・・50万円⁉」

 通常、車内販売員が一往復したときの平均売上金額は7万円ほど。それを1往復半に換算しても、5倍近い売上を出したということになります。50万円という金額は、東京都内にあるコンビニエンスストアの1日の平均売上に匹敵します。(当時)車内販売では前代未聞の数字でした。

 あの日の出来事は、数年経った今でもはっきりと覚えています。

 山形県の新庄駅から東京駅までを約3時間半で結ぶ、山形新幹線「つばさ」。福島ー新庄間は在来線の線路を走るため、他の新幹線よりも車体が小ぶりなのが特徴です。大きな新幹線では全車両で約1300名分の座席がありますが、こちらは約400名分。7両編成の、本当に小さな新幹線なのです。

 私はその「つばさ」の車内販売員として、1998年から2012年まで乗車していました。

 ワゴンにお弁当や飲み物、お菓子、お土産品などの商品を積み、車内を歩いてはんばいするこのサービスを、皆さんも一度はご利用されたことがあるのではないでしょうか。私はその車内販売で他の販売員の3倍という売上を出し続け、のちに全線区で3名しかいない「チーフインストラクター」の役職につき、後輩の育成にもあたりました。新聞やテレビではその販売方法などを取り上げていただき、全国で講演する機会にも恵まれました。

 講演会でよく言われることは、

「茂木さんはもともと明るくて、販売員という仕事が天職だったんですね。だからそんなに売れるんですよね」ということ。

でも本来の私は、接客業には到底向かない、とても人見知りな子でした。お恥ずかしい話、学生時代の成績もビリに近く、そしてタイトルにもあるように、バリバリのコギャルだったのです!

 10代の頃は、「私なんて、何をやったってダメなんだ」とずっと思っていました。

 でも、今の自分なら、「そんなことはないんだよ」と言うことができます。少しの勇気を出せば、人はどんな風にでも変わることができる。だから、もし同じような思いを抱えている人がいるならば、「きっと大丈夫、だから自分を否定しないで」と背中を押したい気持ちです。

 一人のダメダメだったコギャルは、さまざまな人たちと触れあうことでどんどん変えられ、自分の頭で考える楽しさを知り、やがてそこが自分の居場所になりました。

 これからお話しするのは、そんな私が、車内販売という仕事で得た販売のアイデアや考え方です。それがほんの少しでも、皆様が仕事や人生を乗り切っていくうえでのヒントになれば、これほど嬉しいことはありません。

「コギャルだった私が、カリスマ新幹線販売員になれた理由」より